2012年4月11日水曜日

東日本大震災から一年「311追悼の会」をしました。


げら子さんは昨冬から冬眠に入っていました。
一月に眠りから覚めて、ずっと気がかりであった事をやろうと活動をはじ
めました。先輩友人知人達と「東日本大震災から一年 311追悼の会」を
開催したそうです。

「飲んで歌って踊って!楽しい宴」ではないのですが、その根っこのココ
ロは同じ。被災した方被災地へ行かれた方から直接話を聞いて感じて、
亡くなられた方々を追悼したいということのようです。

その模様をげら子さん、ごん太さんから報告してもらいます。

イラスト by せさみ
げら子です。ご無沙汰してました。
顔を披露するの初めてですね、
こんなんです。
気になっていた東北の知り合い
から1月に手紙をもらいました。
読みながら涙がこぼれて止まれ
へんかったんです。生のことばの
力にぶっとばされました。
ほんまは被災地に行くことがええ
ねんけど、大阪から行けない人
もいるやろし、そんな人と一緒に
一年経った日に生の声を聞こう、
それが追悼になるはずや、と思
ったワケです。先輩、友人、知人
達との草の根ネットワークで「311追悼の会」をしました。

イラスト by せさみ


   ごん太です。
    そんなことやったら一肌ぬぐがな!
     とボランティア、僕は会場設営隊。
     えらい人でもない有名な人でもない
     普通の人が自分のことばでしゃべ
     ってくれはった、声がまだ耳にこび
   りついてるわ。
     みんながひとつになって追悼でき
     たね。  





■■■ みなんでつくった、手づくり追悼の会




























げら子 私らの友達知り合い、そのまた友人知人をたどってたどって、
6人の人に話してもろた。参加した人皆でつくって、皆で追悼
できたな。


ごん太 おにぎり隊は前日からトン汁準備して朝かからおに ぎり握っ
て、皆で話を聞いて、黙祷して、歌って、後片付けも皆でして。
みんな感じ方は違うやろけどこころから感じた、亡くなられた人
達や被災された人のことを身体で感じたな。


■■■ ひとりひとりのこころに沁みる話のほんの一部


ごん太 生のことばの力を伝えるのは僕にはむり、、、けど、僕が印
象に残ったことばだけでも伝えます。ニュアンスが違ったりすることは
堪忍してください。


 武山大自さん 吹田市在住 気仙沼出身 
~ふるさとの震災前、震災後~

-”あっ、ばっちゃん!”震災後3日実家と全く連絡がとれない、
  時事通信社のネット配信で、自衛隊の人におぶって救出さ
   れた祖母をみつけました。
-妹の車が津波に流されている写真、本人がとったもの”あ~
   まだローンが残ってる”ネットがつながって実家(米屋)の
   ブログでリアルな状況がわかりました。
-被災地や気仙沼を忘れられるのが怖い。これからも機会が
  ある毎にこんな場があれば話し、情報を発信していきます。

土屋美友紀さん 豊中市在住 福島より避難
~福島から豊中へ移り住んで~

-実家から帰ってこいとの強い言葉があった。避難したくとも
   出来ない人達がいる。夫は仕事があり福島で別々の生活
   です。逃げ出したと言われる人もいました。
-子供の友達が”ぼくらは放射能で長生きできない”という。
  ○○ちゃんは長生きして・・・
-この四月から福島の夫の実家に帰ることに決めました。

ウベェ・ワルターさん 京都府美山町在住 尺八奏者
~被災地を訪ねたドイツの虚無僧~

-(土屋さんの言葉に涙し)私は結局故郷の東ドイツに帰れ
   なかった。
-震災後すぐ、美山の人たちから米を集めて石巻に届け尺
   八を演奏して回りました。
     ※お話のあと、追悼の尺八演奏

萱場祐子さん  石巻市在住
~石巻2011年3月11日~

-夫、子供2人、私、全員がばらばらの場所で震災。全員が
   会えたのは四日後でした。主人が腰まで水につかりながら
  5時間歩いて娘を見つけてくれました。
-(萱場さんご本人が避難された場所-民家-では救援物
  資は届いたのですか、と言う質問に)
  それは大丈夫でした。ただ子供のことが心配で食べたいと
  いう気持ちにはならなかった、でも食べないとダメだと無理
  やり食べてました。
-石巻で亡くなられた3200人のことを思って、今後も復興支援
  をしていきます。

岡本牧子さん 神戸市在住
~南三陸町で出会った人びと~

-直後に片道12時間車に乗って向いました。3千人分の炊き
  出しを9回しました。やりながら失敗もしながらです。夏場は
   持っていったものが傷んだり、じゃ冷凍しようと持っていくと
  解凍に時間がかかりすぎたり、、、でもそんな失敗に被災地
  の方がこうすればと教えてくれたりコミュニケーションが図れ
   たように思います。
-先が見えない不安はありますが、続けて行こうと思います。

大津俊雄さん 神戸市在住、神戸市で被災、復興活動
~阪神大震災からの教訓~

-鯨の頭の上に日本列島がある。日本全国どこに行っても地
   震にあいます。


■■■ 黙祷。みなで歌った。

げら子 武山さんの話が終わるとまもなく14時46分、亡くなられた
方々へ1分間の黙祷をささげました。










ごん太 会の最後は「うたのコーナー」や。急ごしらえのコーラス
隊ブリコルールが『小さな空』を合唱、そら僕もでていかな~。
ここでまたみんなのこころがぎゅっとひとつになったなぁ、そんな
空気やった。

げら子 翔ユリ子さん、お願いしたらふたつ返事で「やります!」
てボランティアで歌ってくれはった。「夜明けの歌」と翔さんの持ち
歌「鶴」、戦死した恋人を恋うる歌、亡くなった方への追悼の歌や
った、感動したね。

 翔ユリ子さんブログ ←この日のことを書いておられます。
         

■■■ 被災地の米と野菜を使って皆でつくった、食べた。


岩手、宮城のひとめぼれでにぎったおにぎり、福島産野菜豚肉の豚汁、パラグアイからの復興支援豆腐(左)
支援グッズ展示即売、震災本展示即売(右)
















ごん太   こころのスパイスが利いてたね。何ともいえずに美味し
      かった。おかずを持ってきてた人が皆に回してくれて分
            けて食べたのも美味しかったで。

げら子 ほんまに心からの追悼ができたわ、話してくれた方、
      参加してくれた方、みんなに感謝でいっぱいや。
            ありがとうございました。これからも続けていくつもり
      です。


げら子さん達に「311追悼の会」を催すきっかけを下さった東京
在住のOさん、お母さまがケアハウスで被災されました。今回の
企画には多大なご尽力いただきました。この追悼会をご報告した
その返信のメールをご紹介し、エロローグとします。

****「追悼の会」を開催していただいて、こちらこそ感謝
です。皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。案の定、
突然、実家解体の連絡が入り2月24日(金)から29日(火)まで、
気仙沼に帰りました。足場をかけて、隣の家とそのまた隣
の家の三軒を後ろ側から重機で解体していきます。瓦礫を
分別しながらの作業なので、間が読めず、結局、実家の
庭が潰され、縁側の一部が解体された時点でこちらに戻り
ました。今はすっかり更地です。商店街のあちこちが同じ
ような状況です。先日、NHKスペシャルで気仙沼「人情商
店街」というタイトルで復興商店街をとりあげていました
が、その商店街こそ、まさに私が育った街でした。
一年が経ちました。一つの節目です。やっと、本当のやる
気が出て来たように感じています。********************

Oさんご主人の支援ブログ 
↑気仙沼の同級生を支援するブログです
気仙沼コンシェルジェ
↑Oさんがボランティアされている銀座から気仙沼を支援するプロジェクト


(写真提供 左高通泰さま)

★★★げら子、ごん太コンビでまたお届けしていきます。
new げら子、ごん太の紹介を更新しました。
只今、タイ・アジアのレポート準備中です。
お付き合い頂ければうれしいです。★★★★★★★★

2 件のコメント:

  1. Misato Fukuhara2012/04/14 15:48:00

    お久しぶりでございます。
    暖かくなったので、ゲラ子さんもお目覚めなのですね☆
    これからも更新楽しみにしております!

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  2. Misatoさん ありがとうございます。
    ゆっくりおとゆっくりとやりますので、見捨てずに気長にご覧のほどお願いします。

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