一月に眠りから覚めて、ずっと気がかりであった事をやろうと活動をはじ
めました。先輩友人知人達と「東日本大震災から一年 311追悼の会」を
開催したそうです。
「飲んで歌って踊って!楽しい宴」ではないのですが、その根っこのココ
ロは同じ。被災した方被災地へ行かれた方から直接話を聞いて感じて、
亡くなられた方々を追悼したいということのようです。
その模様をげら子さん、ごん太さんから報告してもらいます。
げら子です。ご無沙汰してました。
顔を披露するの初めてですね、
こんなんです。
気になっていた東北の知り合い
から1月に手紙をもらいました。
読みながら涙がこぼれて止まれ
へんかったんです。生のことばの
力にぶっとばされました。
ほんまは被災地に行くことがええ
ねんけど、大阪から行けない人
もいるやろし、そんな人と一緒に
一年経った日に生の声を聞こう、
それが追悼になるはずや、と思
ったワケです。先輩、友人、知人
達との草の根ネットワークで「311追悼の会」をしました。
イラスト by せさみ |
ごん太です。
そんなことやったら一肌ぬぐがな!
とボランティア、僕は会場設営隊。
えらい人でもない有名な人でもない
普通の人が自分のことばでしゃべ
ってくれはった、声がまだ耳にこび
りついてるわ。
みんながひとつになって追悼でき
たね。
■■■ みなんでつくった、手づくり追悼の会
げら子 私らの友達知り合い、そのまた友人知人をたどってたどって、
6人の人に話してもろた。参加した人皆でつくって、皆で追悼
できたな。
ごん太 おにぎり隊は前日からトン汁準備して朝かからおに ぎり握っ
て、皆で話を聞いて、黙祷して、歌って、後片付けも皆でして。
みんな感じ方は違うやろけどこころから感じた、亡くなられた人
達や被災された人のことを身体で感じたな。
■■■ ひとりひとりのこころに沁みる話のほんの一部
ごん太 生のことばの力を伝えるのは僕にはむり、、、けど、僕が印
象に残ったことばだけでも伝えます。ニュアンスが違ったりすることは
堪忍してください。
武山大自さん 吹田市在住 気仙沼出身
~ふるさとの震災前、震災後~
-”あっ、ばっちゃん!”震災後3日実家と全く連絡がとれない、
時事通信社のネット配信で、自衛隊の人におぶって救出さ
れた祖母をみつけました。
-妹の車が津波に流されている写真、本人がとったもの”あ~
まだローンが残ってる”ネットがつながって実家(米屋)の
ブログでリアルな状況がわかりました。
-被災地や気仙沼を忘れられるのが怖い。これからも機会が
ある毎にこんな場があれば話し、情報を発信していきます。
土屋美友紀さん 豊中市在住 福島より避難
~福島から豊中へ移り住んで~
-実家から帰ってこいとの強い言葉があった。避難したくとも
出来ない人達がいる。夫は仕事があり福島で別々の生活
です。逃げ出したと言われる人もいました。
-子供の友達が”ぼくらは放射能で長生きできない”という。
○○ちゃんは長生きして・・・
-この四月から福島の夫の実家に帰ることに決めました。
ウベェ・ワルターさん 京都府美山町在住 尺八奏者
~被災地を訪ねたドイツの虚無僧~
-(土屋さんの言葉に涙し)私は結局故郷の東ドイツに帰れ
なかった。
-震災後すぐ、美山の人たちから米を集めて石巻に届け尺
八を演奏して回りました。
※お話のあと、追悼の尺八演奏
萱場祐子さん 石巻市在住
~石巻2011年3月11日~
-夫、子供2人、私、全員がばらばらの場所で震災。全員が
会えたのは四日後でした。主人が腰まで水につかりながら
5時間歩いて娘を見つけてくれました。
-(萱場さんご本人が避難された場所-民家-では救援物
資は届いたのですか、と言う質問に)
それは大丈夫でした。ただ子供のことが心配で食べたいと
いう気持ちにはならなかった、でも食べないとダメだと無理
やり食べてました。
-石巻で亡くなられた3200人のことを思って、今後も復興支援
をしていきます。
岡本牧子さん 神戸市在住
~南三陸町で出会った人びと~
-直後に片道12時間車に乗って向いました。3千人分の炊き
出しを9回しました。やりながら失敗もしながらです。夏場は
持っていったものが傷んだり、じゃ冷凍しようと持っていくと
解凍に時間がかかりすぎたり、、、でもそんな失敗に被災地
の方がこうすればと教えてくれたりコミュニケーションが図れ
たように思います。
-先が見えない不安はありますが、続けて行こうと思います。
大津俊雄さん 神戸市在住、神戸市で被災、復興活動
~阪神大震災からの教訓~
-鯨の頭の上に日本列島がある。日本全国どこに行っても地
震にあいます。
■■■ 黙祷。みなで歌った。
げら子 武山さんの話が終わるとまもなく14時46分、亡くなられた
方々へ1分間の黙祷をささげました。
隊ブリコルールが『小さな空』を合唱、そら僕もでていかな~。
ここでまたみんなのこころがぎゅっとひとつになったなぁ、そんな
空気やった。
げら子 翔ユリ子さん、お願いしたらふたつ返事で「やります!」
てボランティアで歌ってくれはった。「夜明けの歌」と翔さんの持ち
歌「鶴」、戦死した恋人を恋うる歌、亡くなった方への追悼の歌や
った、感動したね。
翔ユリ子さんブログ ←この日のことを書いておられます。
■■■ 被災地の米と野菜を使って皆でつくった、食べた。
岩手、宮城のひとめぼれでにぎったおにぎり、福島産野菜豚肉の豚汁、パラグアイからの復興支援豆腐(左) 支援グッズ展示即売、震災本展示即売(右) |
ごん太 こころのスパイスが利いてたね。何ともいえずに美味し
かった。おかずを持ってきてた人が皆に回してくれて分
けて食べたのも美味しかったで。
げら子 ほんまに心からの追悼ができたわ、話してくれた方、
参加してくれた方、みんなに感謝でいっぱいや。
ありがとうございました。これからも続けていくつもり
です。
げら子さん達に「311追悼の会」を催すきっかけを下さった東京
在住のOさん、お母さまがケアハウスで被災されました。今回の
企画には多大なご尽力いただきました。この追悼会をご報告した
その返信のメールをご紹介し、エロローグとします。
****「追悼の会」を開催していただいて、こちらこそ感謝
です。皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。案の定、
突然、実家解体の連絡が入り2月24日(金)から29日(火)まで、
気仙沼に帰りました。足場をかけて、隣の家とそのまた隣
の家の三軒を後ろ側から重機で解体していきます。瓦礫を
分別しながらの作業なので、時間が読めず、結局、実家の
庭が潰され、縁側の一部が解体された時点でこちらに戻り
ました。今はすっかり更地です。商店街のあちこちが同じ
ような状況です。先日、NHKスペシャルで気仙沼「人情商
店街」というタイトルで復興商店街をとりあげていました
が、その商店街こそ、まさに私が育った街でした。
一年が経ちました。一つの節目です。やっと、本当のやる
気が出て来たように感じています。********************
お久しぶりでございます。
返信削除暖かくなったので、ゲラ子さんもお目覚めなのですね☆
これからも更新楽しみにしております!
Misatoさん ありがとうございます。
返信削除ゆっくりおとゆっくりとやりますので、見捨てずに気長にご覧のほどお願いします。