2014年1月8日水曜日

おとなの学芸会 In 南紀白浜~『幕末紀州 川合小梅のワンダフルワールド』出版記念パーティ~

ひと冬を越しふた冬目の冬眠に入ったところ、異常気象のせいか突然目覚めたゲラ子さんごん太さんが出没したのはここ日本、和歌山南紀白浜です。和歌山アドベンチャーワールド近くのリゾートホテル、で繰り広げられるのは「おとなの学芸会」です。さてさて、久しぶりの飲んで歌って楽しい宴をご披露頂きましょう。
~写真提供  山田聡昭さん、左高通泰さん、大塩史規さん~Special Thanks!


ゲラ子  まずは〝おとなの学芸会″終盤のショットを!アラフォー、団塊世代、前期後期高齢世代それぞれの男女47人、これだけの世代がおんなじように無邪気でうれしそうな顔してはるのはなかなかありません。



















ゲラ子  そもそもこの学芸会は一冊の本が始まりやねん。『幕末紀州 川合小梅のワンダフルワールド』、タイトルも長いけど中身も分厚い、637頁やもん。

著者 阿部健 阿吽社2013年11月



左 『小梅日記』   右 東洋文庫『小梅日記』志賀裕春・村田静子校訂















ごん太  僕が紹介しよ。小梅さんは儒者の奥さん、幕末から明治にかけて和歌山城下で暮らし何十冊もの日記を残しはった。これだけの長い期間にわたって暮らしのことを事細かに書いた日記は他にないみたい。阿部さんはえらいねちっこい人や、この日記をすみからすみまで舐めるように読みはって色んな角度から整理して考えてものを言うてはります。それはそれは細かいし気が遠くなるような手仕事とおつむの仕事や。
小梅さんご夫婦はお酒が大好き、阿部さんはここに魅かれはった。小梅さんが酔った時だんなが介抱したりのエピソードなんか微笑ましいし、天保飢饉や大塩の乱、肥汲み取り、物売りや物貰いのことまで、万華鏡みたいや。正にワンダフルワールドのタイトルどおり、読めば読むほどにじわ~っと味が出てくる面白い本やで。
この本の出版記念パーティが小梅ゆかりの地和歌山で行われたんですね。さぁー〝おとなの学芸会"のはじまりはじまり~!

げら子  出版パーティなんで著者インタビューがあります、まだまだマジなとこです。インタビュアの一発目の質問「今小梅さんが居られたら、阿部さんどうしますか?」、阿部さんいきなりの質問にうろたえはって「はい、一緒にお酒を飲みたいですね」と。




















げら子  そしてそして、阿部さんは本の出版と同時に歌まで作ってしまいはりました。

ごん太  「ここにいるでもいい」て歌や。作詞は阿部さんのお友達で「山は富士なら~♪酒は~しらゆきぃ~♪」という唄を作らはった藤吉正孝さん、日本酒白雪のコマーシャルソングやけど僕らより下の人はこの歌は知らんやろなぁ。作曲は中村謙一さん、かっこええ男やで。うたは翔ユリ子さん。ええ歌や、ま、聞いてみて!



げら子  翔ユリ子さん、ステキな声やね。事前にCDが送られてきてコーラスメンバーは練習に練習を重ねたんやで、もちろん私もメンバー、聞いてくれたやろレベル高いで。 流石〝おとなの学芸会″メインイベントの面目躍如でほっとしたわ。

ごん太  ボブ浅野とタック狩野のコンビ〝小梅が咲いた”ええですね。お次は、なつかしい~!″レッツキッス頬よせて♪・・・″このメンバーの平均年齢は70歳近いばず、ばくらは最年少?いやいや最年少は小学3年生のKちゃんやった。





















げら子  8才から80代までが輪になってジェンカを踊ってる図はそう見られませんで。


~興にのってきた皆さま、かぶりものやら仮面などでご満悦です

ぱんだダンシングチーム パパ博ひろ・ママまゆまゆ・小パンダかな浜・小パンダふみ浜・トックイサドラ


仮面美女3姉妹






仮面舞踏チームの紳士淑女




















げら子  みなさん、堂々たる仮装、仮面のお姿。楽しんではりますねぇ。

ごん太  いやぁ、びっくりしました。年齢関係なく踊るは騒ぐわ、ぼく負けそうや。



~第1部のあと第Ⅱ部はいよいよ「誰がかばやねんロックンロールショウ」が始まります。
アモーレ猪熊が新メンバー「ダンシング健」を引き連れて登場です

誰かば Donメグ・松浦円一郎・藤田隆・遠藤冬樹

ダンシング健・アモーレ猪熊 登場!




































ごん太  アモーレ、ピュッピュッ~!なになに、メンバーが増えた?「ダンシング健」って、いったい誰やのん。

げら子  あれ阿部さんちがう!?うまいこと変身しはったな。ちょっと見ではわからんかった~。いよっ、ダンシング健ぃ!!アモーレ、かっこええ!





















げら子  アモーレ、誰かばは「東京ブギウギ」から「ケセラセラ」「ミネソタの卵売り」などなど聞かせてノラせてのせてくれたよ~。おじいちゃんおばあちゃん、おっちゃんおばちゃん、ノリノリ。すんごい楽しんではったから、誰カバに脱帽、参加したみんなに脱帽!

ごん太  ほんまに、シャイな僕も身体が動いてくる。踊らなそんそん。











    
~パーティのスタートから終了までず~っとドリンクフリーです。この辺りではよれよれしてきたおじさん、踊りまくっているおばさん、ソーシャルダンスを決めるマダムとジャントルマン・・・宴も佳境に入ってきました。最後にいつものようにアモーレさんのかつらダイビング。~

げら子  アハハ!アモーレと阿部さん、かつら交歓してはるわ。なんか微笑まし。

ごん太  アモーレ、阿部さんのリクエストに応えて「蘇州夜曲」。しんみりと聞かせるねぇ。





































げら子  何回も何回も乾杯したけど、この時の乾杯は最高やったね。そしてダンシング健さんは本日の変装ベストドレッサーでした。

ごん太  僕、カメラを持ってこっち側にいてんけど、みんなほんまにうれしそうで顔がゆるんどったで。
最後の乾杯!(最初のショット、再掲)


~この後パーティ「おとなの学芸会」はお開きになりました。が、無論それで終わる訳もなく、引き続き歌うひと、まだまだ飲むひと、四方山話に興じるひと、飲んで歌って踊って楽しい宴は夜明けまで続きます。。。♪

これでお、し、ま、い~ダダダダッ~白浜の〝おとなの学芸会”~ジャジャン!










2012年10月20日土曜日

タイの酒もよう

タイからBeer Leoさんのレポート第一弾が届きました!

バンコク在住16年を越した。
酒好きの私としてはタイは良くもあり悪くもある国である。
16年前、タイに来た頃はまだアルコールはそんなにメジャーではなかった。ビールはタイビールの代表格シンハビールがほとんど。特に田舎に行くとまだ女性は人前でお酒を飲むのははしたないという風潮が残っていた。
そうこうしているうちにタイの平均所得も上がり次第に豊かになり、今やバンコクの街角ではビヤガーデンで普通にビールを飲む女性グループも見受けられる。

■16年前、タイ語学校で唯一のドリンカーだった

 タイに来た頃、ミッション系のタイ語学校に通っていた。生徒は7名でそのうち飲むのは私一人。授業中に酒を飲んでどうこうという例文を作ったり、昨日は友人と酒を飲んでどうこうという話をすると悪者扱いである。先生は悪い人の例に酒を飲んだりタバコを吸うという例を出し、(半ば冗談で)いつもちらっと私の方を見る。私としては黙って引き下がるわけにもいかず、適量の酒は健康維持にもってこいだと主張するのだが全く相手にされない。これほどまでにタイ社会では酒は悪者であった。
伝統的なタイ社会で国民の多くを占める仏教では飲酒は禁止。そして飲む人の多くは低階級で飲むとけんかしたり、また拳銃をぶっ放したり、、、、酒の悪者イメージに拍車をかけていた。身分格差の大きいタイ社会の中で酒を飲まないというのは一つのステータスになっているのであった。

■この頃の酒事情-ひろがり多様化すれど規制もいっぱい

今日タイでの酒シーンは日本に比較的近づいてきた。
タイ人の酒に対するイメージはかなり変わったと言えるだろう。
日本酒はないとはいえ、屋台やレストランでビールやウイスキーを飲んでいる人は多いし、中華系レストランではハイソ(上流階級)の人がワインを傾けていたりする。
それでも日本との違いはいろいろある。特に政府は健康を理由に酒飲みに対する風当たりを強めている。酒税は毎年上がり、広告媒体では酒類の写真を使った広告は禁止。酒類は1114時、1724時しか販売できない。仏教に関する日と選挙前日は店頭販売も禁止である。もちろんいろいろ抜け道はあるのだがこのようにタイで酒類を飲むにはちょっとしたコツが要る場合があるので要注意である。

■酒のみにとってはうれしいよ~

最後に酒飲みにいいことをたくさん書いておこう。
ビール1本スーパー売りは大瓶で130円ほど。ウイスキーも11000円でおいしいのが買える。日本人の物価から見ると非常に安い。終電がなくなっても市内ならタクシーで帰宅しても300円ほど。タイの東北には泡盛のルーツのラオカオという酒がある。
周辺国ではベトナムやミャンマーの生ビール、日本の小ジョッキで50円ほど。
どうです、来たくなりませんか?

★バンコク日系スーパー「フジスーパー」酒コーナー
上段:サンミゲル、ハイネケン、アサヒSD、サッポロ、シンハ(タイの高級ビール)、レオ、チャーン(タイ低価格ビール
中段:タイチャーンビールの隣に鎮座するサントリープレミアムモルツ

ぞうさんラベルが可愛い!チャーン



















2012.10.14  Beer Leo バンコク在住 
プロフィールは右上ページ「特派員の紹介」から→http://tanouta.blogspot.jp/p/blog-page_20.html

2012年6月7日木曜日

韓国大邱の旅 ③海印寺、星州で出会ったオモニたち

2日目に伽耶山国立公園の「海印寺」(ヘインサ해인사)を訪問しました。大邱の中心地から西へ車で約2時間、アーティスト金星洙(キムソンス김 성수)さんのご案内です。帰路、大邱までの中間地、星州(ソンジュ성주)の金さんのアトリエにもご案内いただきました。

■清らかな渓谷を登ると海印寺、静謐な「大蔵経板殿」、そして観光する働くオモニたち

静かな渓谷を約30分ほど歩くと海印寺が、そのなかに「八万大蔵経板殿」があります。
-「八万大蔵経版」は高麗高宗王時代、モンゴル侵攻によって焼失した大蔵経を1236年から12年をかけて彫ったもの。(韓国観光公社 『韓国』)

湿度と温度の調整を建物の構造によって行っており700年以上朽ちることなく現存しています。
ここから中は撮影禁止です。大蔵経板が保管されている建物は外から覗くだけで中には入れません。

大蔵経板殿門       八万大蔵経板(韓国観光公社掲載写真)












げら子 ひんやりしてる、風が吹き抜けてる。それにしても気の遠くなるようなこと、宋さんのアートに通じるとこあると思う。

ごん太 隙間から板がずらーっと並んでる。えらい広いなぁ。見たことないけど国会図書館の書庫てこんなんかな。

遠大な手仕事の御殿を後にして降りていくと、現実の世界です。観光するオモニたちが僧侶の説明を熱心に聴きいっていました。





















ごん太 悠々自適のオモニの観光名所みたいやな、京都のお寺の観光光景や。おばちゃんパワーや、おっちゃんはちらほら。

げら子 ほんまやな。あ~ハルモニしゃがんでしもた!
こちらはハルモニが肉体労働してはる。制服のようなジャケットが可愛らしい。


















■ポツンと人気のないテンジャンチゲ(味噌鍋된장찌개)店、わらびを干すオモニ

観光地だけあって、下山途中には等間隔に食堂があります。そのなかで金さんがチョイスしたのがテンジャンチゲのお店でした。

9種のおかず 菜のごまあえ、わらび、魚介のつくだに、貝のキムチ
菜のおしたし、ペクキムチ、古キムチ、大豆、正体不明1品
注文したのは、豆腐・菊菜としいたけのチヂミ・テンジャンチゲ















げら子 次から次と来るわ来るわ!全部で9種類や。では、不老マッコリで乾杯!(金さんは車のため飲めない、我々だけごめんやっしゃ!)

ごん太 とうふが美味いで、タレが辛い!豆の味がそこはかとなく漂う、お見事。チゲの出汁もええねぇ。

お腹満腹、マシッソヨ、カムサムニダ!とお店をでたところに、なにやら干しているご夫妻。
ここでもオモニの存在感ありです。


















げら子 これなんですか~!山からとってきたわらび(コサリ고사리)やて。あ、さっきでてきたおかずにあったやつ。

ごん太 そうそう、かめば味がでる。ここで採って手間かけて干して出してはんねん、うまいはずや。


■金さんのアトリエ、そして隣人夫妻のつくったマウワウリ(チャメ참외)のうまさ!


大邱星州(ソンジュ)はマクワウリの名産地、今マクワウリの出荷最盛期です。広大な土地でマクワウリを作っているご夫妻にその場でざくざくとナイフで剥いたウリをご馳走になりました。金さんの仲良し隣人です。

真ん中がマクワウリご夫妻       出荷を待つマクワウリ















げら子 うわー、甘味が深いで、美味しい!今出荷の最盛期やねんて。主のアボジと可愛いいオモニ、アボジにもったいないくらいやね。お二人ともどしっと地に足ついてはるな。

ごん太 ざくざくとワイルドなんがまたよろしな。これ日本のコリアンタウンで4個千円もしまっせ。なんと贅沢なこと。



最後に金さんのアトリエをご紹介せねばなりません。


庭のオブジェ、向うの蒔はストーブ用、ご自分で巻割り
室内アトリエの作品たち










































玄関から庭、屋内、すべて金さんの作品で埋まり、ゆっくりとした時間が流れています。日本でも展覧会が予定されているそうです。


3日間の大邱の旅(5/1-3)は、通りすぎただけでしたが心に染みました。都会と田舎、名刹、アーティスト、農家、観光の人々との瞬間の出会い、そこで舌鼓をうった数々の食べ物、そして「不老マッコリ」。ソウルや釜山、他の地方都市とも違う空気の土地、ゆったりとして洗練されたにおいを感じました。
そして、伽耶文化、高麗文化から受け継がれた手仕事を、宋さん金さんのアートに見ました。

ギャラリスト俊子オンニ、 山下さんにカムサムニダ!
俊子オンニ「ギャラリー佑英」HP ご覧ください。


韓国大邱のレポートはおしまいです。
6月中にはタイをご紹介する予定です。



2012年6月6日水曜日

韓国大邱の旅 ②ハンオク民泊「トンダソン」おかみの朝ごはん

「トンダソン」は、韓屋民泊です。
トンダソンという屋号は、「朝鮮王朝後期に作られた東茶頌(동다송)という茶道を詩で説明した本のこと(韓国百科事典サイト Naver사전)」に由来しているようです。
韓国事情通の山下龍夫さんからご紹介いただきました。
山下さんのフェイスブック (韓国の庶民の暮らしと息吹が伝わってきます)

韓屋風情の設計、中央の庭のぐるりに客室が8部屋ほど、浴室とトイレは共同です。
オンドル部屋は食卓だけのシンプルなつくり、げら子さん俊子さんごん太さん、期待どおりのお宿です。

玄関         窓からの風景   オンドル部屋














大邱中心地から東北へ約40kmのところに位置し、八公山道立公園(팔공산도림공원)の入り口です。ここからは35kmの登山コースになっています。ちなみに八公山は仏教文化の聖地と言われているようです。

1日目遅くに到着、さすがのげら子さん、ごん太さん、俊子さんも緊張のためゆっくりと飲めなかったようです。ごん太がマッコリを頼みました。

マッコリに、チヂミ、キムチ、大根、オレンジ



















ちょっと、感激!おつまみも作って
くれはった、このチヂミ美味しそう。
乾杯!
どれどれ、このキムチ、きっとおかみ
さんの手づくりやな、やさしいお袋の
味がするもん。
マッコリもしゅわしゅわしてる、手づくり
かな~。




ごん太 これはこれは、明日の朝食に期待が膨らむなぁ。

げら子 玄関の看板に「茶」てあったやん。なんでかなと思ったけど、屋号のいわれなんやね。ごん太がもっと語学力あったら詳しく聞けるのにね。ごん太もっと勉強せな!

早朝は近くを散策、朝に爽やかな空気を満喫し、いよいよ朝食です。

キムチ、菜、のり、じゃこ、練物、野菜と卵のスープ



















げら子 やっぱり、ア・タ・リ!ビールでまずは乾杯。スープのおだしはなんやろ、深みがあってあっさりしてて、は~、ごはんもすすむわ。もうこの朝食だけでも満足。俊子オンニはクッパかいな、お、それも美味しそう。

ごん太 ほんまに期待に違わずや。

この日も夜遅くに帰着、またまたマッコリで締めました。
翌朝はチェックアウト、朝食メニューにおかみの気持ちがこもっています。

菜サラダ・菜おしたし・卵焼き・じゃがいもソーセージジョン・キムチ・エゴマ葉漬け
わかめのスープ

















ごん太 ほーっ、ワカメのスープはお誕生日のものやろ。おかみさんの気持ちが伝わるな。魚介類のだしの味、わかめもご立派。

げら子 おかみさんの腕は確かや。素朴な味がたまらんね。


宿泊は平日のためか我らだけでした。他の部屋に人々がいるのですが、どうも宿泊客には思えません。おかみさん「タりエヨ(娘です)」って。空室の折には子供達の宿泊となっているとは便利で効率的な運営です。

夜遅くに帰ってはマッコリ、朝からビールを飲む我らをタイミングよく手づくりの美味しさでもてなし温かく見守ってくれました。
「マッコリが美味しい、手づくりですか?」というと、お土産にマッコリを下さいました。
それは「不老マッコリ」だった!

お世話になりました。夕食をいただけなかったことだけが心残りです。
宿泊費は平日一人40,000ウォン-日本円 6/5現在レート(65円)で2600円-(週末は50,000ウォン)

品のよい料理上手で素敵なおかみさん(写真撮影を失念)、ご紹介いただきました山下さん、チョンマロカムサムニダ!

次回は「海印寺から星州で出会ったオモニ」です。



2012年6月4日月曜日

韓国大邱の旅 ①芸術家が集う食堂

げら子とごん太は昨年実現できなかった大邱(대구)へ。

金海空港から亀浦(구포)へ、亀浦からKTXで1時間余りで東大邱(동대구)駅に着きました。
おしゃべりしているとあっという間に到着、あわや乗り越すところでした。




東大邱駅































■70-80年民主化運動の地、今、文化のかおる街

大邱は1970~80年代軍事独裁政権を主導した三人の大統領、朴正熙、全斗煥、盧泰愚の出身地です。
-軍事独裁政権が続いた70-80年代、それを打破しようと闘った「学生民主化運動」が最も盛んな時期でもあった。催涙弾のガスに涙を流しながら民主化のために闘った私たちの先輩たち、同僚たち、後輩たち。彼らが憤懣やるかたない思いを吐露しながら、一杯のマッコルリに希望を見出して未来を夢見たのが、当時のデポチプだ-(鄭銀淑『マッコルりの旅』)

伝説のデポチプのハルモニは引退されたとのこと。


今回の大邱は、げら子の友人のギャラリストが懇意にしておられるアーティストの展覧会にお邪魔する、これがメインの目的です。ギャラリスト俊子オンニの後について珍道中の始まりです。


「鳳山文化会館(봉산문화회관)」は2004年設立、 大邱の芸術家の作品の発表の場のようです。

ポンサン文化会館、ポンサン文化通り                  メイン通りから入った路地   

げら子 着ましたね。文化の香りがする。
ほら、掘り出しモンありそうな骨董やさん、手づくりのブティック
や、 ええけどな高そうやな。

ごん太 静かな落ち着いた街並みや。ちょっと入った路地は韓国の家、
ええ佇まいやね。
ちょっとワクワクしてきたで。はよ、行こ!


-「紙物・-空-」は韓国の現代アート作家「宋光翼(송솽익)さん」と日本の作家「伊藤祐之さん」との二人展です。
-「彼(宋光翼)は熊手鍬で畝を作って畝間と深さを推し量る農作業を掘り起こす農夫の視線で労働の価値と観照をテクスト化する(金永世 09.5 ポンサン文化会館)











なんか難しいこと言うてはるけど、
入り口入ったとたん空気が違う!
見たらわかるねん!!ね、ほら。
ていねいにていねいにひとつひと
つ手仕事を積み重ねて、気が遠
くなるようなことを積み上げて作っ
てはる。
あ~、心が澄んでくるワ。

ごん太 ほんまについてきてよ
かった~。
ここは時間がとまったみたいや。

宋さん、アーティスト、ギャラリストのみなさん




















■この日はオープニング。幸福食堂(행복식당)で○×△□▽・・・・。

宋さん、宋さんのお仲間のアーティスト、伊藤さん、みなで「幸福食堂」へ
繰り出しました。

乾杯!不老マッコリをやかんにいれて           宋さん・金さん               伊藤さん     



皆さん、芸術談議してはるんやろなぁ。
すんごい早口で一斉にしゃべりはるから、
ボクさっぱりわかりません。

「マッシッソヨ」
「イエー」
「ケンチャナヨ」 の繰り返しだけや。





げら子 そやけど皆三々五々やってきて、主賓を待つとかせーへん
ねんね。もう5回位乾杯したで。
皆さん芸術家には見えへん、普通のおっちゃんやねん。
って多分日本の芸術家っぽさがない、その人があんな
すごいもん作りはるからその差が楽しいな。

ごん太 それは同感!気取りがあらへん、ボクらも友達みたいに
接してくれはるもん。

げら子 マッコリは「不老マッコリ」。清涼感あってバランスがとれ
た味やわ。チヂミ、スユク、キムチにいろんなつまみ。
普段の晩ごはんのおかずできどらんでええな。

-大邱のマッコリは「不老マッコリ」が90%を占めるようです。(鄭銀淑『マッコルリの旅』)
今回の旅ではすべてが「不老マッコリ」でした。 

-と、この日は我らの宿は遠く、途中で失礼することに。すると、宋さんのお気遣いでタクシーで送ってくださるという。そして送って下さった方は宿からまた大邱まで帰られました。カムサムニダ!
その後、歌って踊っての宴が繰り広げられたようです。あ~残念でした。


■大邱の名店、ハンオクチプで「キムチチム」を堪能

翌日もご馳走になることに。
水曜日19時過ぎ、店内はぎゅうぎゅうの満席、これ以上入らないというところに入るのです。
地元の名店だそうです。

キムチチム店 暗い路地を入った突き当たりに











熟成させたキムチ、色合いが違う      深い味のキムチチム     














げら子 へ~!何とも言えん深~い味。豚肉はボロボロになるまで
煮込んである。キムチは醗酵味がすごく深い味。

ごん太 ボクも初めての味。マッコリもごはんもすすむ。
というても、マッコリはでてこなかったな。
最初、鍋の上にラーメンの袋が置いてあったから、最後に
ラーメンで〆るみたいやな。
壁はみんなのメモ帖や、ボクも書かせてもろた!

げら子 いろんな人が入れ替わり立ち替わりで、ぎゅぎゅう詰めで
座らはるのは、大邱流?アーティスト流?ようわからんけど
「皆友達(모든 친구!」というのが伝わってくるわ。


大邱の2日間は、韓国の前線を走るアーティスト達が集う食堂で「マシッソヨ!」の連続でした。気取らない仲間達の楽しい宴、そこにすんなりと同化できる空気がありました。
民主化を願って闘った若者のその魂が芸術に連なっているのでしょうか。

次回は「民族旅館に泊まる」をレポートします。



2012年4月11日水曜日

東日本大震災から一年「311追悼の会」をしました。


げら子さんは昨冬から冬眠に入っていました。
一月に眠りから覚めて、ずっと気がかりであった事をやろうと活動をはじ
めました。先輩友人知人達と「東日本大震災から一年 311追悼の会」を
開催したそうです。

「飲んで歌って踊って!楽しい宴」ではないのですが、その根っこのココ
ロは同じ。被災した方被災地へ行かれた方から直接話を聞いて感じて、
亡くなられた方々を追悼したいということのようです。

その模様をげら子さん、ごん太さんから報告してもらいます。

イラスト by せさみ
げら子です。ご無沙汰してました。
顔を披露するの初めてですね、
こんなんです。
気になっていた東北の知り合い
から1月に手紙をもらいました。
読みながら涙がこぼれて止まれ
へんかったんです。生のことばの
力にぶっとばされました。
ほんまは被災地に行くことがええ
ねんけど、大阪から行けない人
もいるやろし、そんな人と一緒に
一年経った日に生の声を聞こう、
それが追悼になるはずや、と思
ったワケです。先輩、友人、知人
達との草の根ネットワークで「311追悼の会」をしました。

イラスト by せさみ


   ごん太です。
    そんなことやったら一肌ぬぐがな!
     とボランティア、僕は会場設営隊。
     えらい人でもない有名な人でもない
     普通の人が自分のことばでしゃべ
     ってくれはった、声がまだ耳にこび
   りついてるわ。
     みんながひとつになって追悼でき
     たね。  





■■■ みなんでつくった、手づくり追悼の会




























げら子 私らの友達知り合い、そのまた友人知人をたどってたどって、
6人の人に話してもろた。参加した人皆でつくって、皆で追悼
できたな。


ごん太 おにぎり隊は前日からトン汁準備して朝かからおに ぎり握っ
て、皆で話を聞いて、黙祷して、歌って、後片付けも皆でして。
みんな感じ方は違うやろけどこころから感じた、亡くなられた人
達や被災された人のことを身体で感じたな。


■■■ ひとりひとりのこころに沁みる話のほんの一部


ごん太 生のことばの力を伝えるのは僕にはむり、、、けど、僕が印
象に残ったことばだけでも伝えます。ニュアンスが違ったりすることは
堪忍してください。


 武山大自さん 吹田市在住 気仙沼出身 
~ふるさとの震災前、震災後~

-”あっ、ばっちゃん!”震災後3日実家と全く連絡がとれない、
  時事通信社のネット配信で、自衛隊の人におぶって救出さ
   れた祖母をみつけました。
-妹の車が津波に流されている写真、本人がとったもの”あ~
   まだローンが残ってる”ネットがつながって実家(米屋)の
   ブログでリアルな状況がわかりました。
-被災地や気仙沼を忘れられるのが怖い。これからも機会が
  ある毎にこんな場があれば話し、情報を発信していきます。

土屋美友紀さん 豊中市在住 福島より避難
~福島から豊中へ移り住んで~

-実家から帰ってこいとの強い言葉があった。避難したくとも
   出来ない人達がいる。夫は仕事があり福島で別々の生活
   です。逃げ出したと言われる人もいました。
-子供の友達が”ぼくらは放射能で長生きできない”という。
  ○○ちゃんは長生きして・・・
-この四月から福島の夫の実家に帰ることに決めました。

ウベェ・ワルターさん 京都府美山町在住 尺八奏者
~被災地を訪ねたドイツの虚無僧~

-(土屋さんの言葉に涙し)私は結局故郷の東ドイツに帰れ
   なかった。
-震災後すぐ、美山の人たちから米を集めて石巻に届け尺
   八を演奏して回りました。
     ※お話のあと、追悼の尺八演奏

萱場祐子さん  石巻市在住
~石巻2011年3月11日~

-夫、子供2人、私、全員がばらばらの場所で震災。全員が
   会えたのは四日後でした。主人が腰まで水につかりながら
  5時間歩いて娘を見つけてくれました。
-(萱場さんご本人が避難された場所-民家-では救援物
  資は届いたのですか、と言う質問に)
  それは大丈夫でした。ただ子供のことが心配で食べたいと
  いう気持ちにはならなかった、でも食べないとダメだと無理
  やり食べてました。
-石巻で亡くなられた3200人のことを思って、今後も復興支援
  をしていきます。

岡本牧子さん 神戸市在住
~南三陸町で出会った人びと~

-直後に片道12時間車に乗って向いました。3千人分の炊き
  出しを9回しました。やりながら失敗もしながらです。夏場は
   持っていったものが傷んだり、じゃ冷凍しようと持っていくと
  解凍に時間がかかりすぎたり、、、でもそんな失敗に被災地
  の方がこうすればと教えてくれたりコミュニケーションが図れ
   たように思います。
-先が見えない不安はありますが、続けて行こうと思います。

大津俊雄さん 神戸市在住、神戸市で被災、復興活動
~阪神大震災からの教訓~

-鯨の頭の上に日本列島がある。日本全国どこに行っても地
   震にあいます。


■■■ 黙祷。みなで歌った。

げら子 武山さんの話が終わるとまもなく14時46分、亡くなられた
方々へ1分間の黙祷をささげました。










ごん太 会の最後は「うたのコーナー」や。急ごしらえのコーラス
隊ブリコルールが『小さな空』を合唱、そら僕もでていかな~。
ここでまたみんなのこころがぎゅっとひとつになったなぁ、そんな
空気やった。

げら子 翔ユリ子さん、お願いしたらふたつ返事で「やります!」
てボランティアで歌ってくれはった。「夜明けの歌」と翔さんの持ち
歌「鶴」、戦死した恋人を恋うる歌、亡くなった方への追悼の歌や
った、感動したね。

 翔ユリ子さんブログ ←この日のことを書いておられます。
         

■■■ 被災地の米と野菜を使って皆でつくった、食べた。


岩手、宮城のひとめぼれでにぎったおにぎり、福島産野菜豚肉の豚汁、パラグアイからの復興支援豆腐(左)
支援グッズ展示即売、震災本展示即売(右)
















ごん太   こころのスパイスが利いてたね。何ともいえずに美味し
      かった。おかずを持ってきてた人が皆に回してくれて分
            けて食べたのも美味しかったで。

げら子 ほんまに心からの追悼ができたわ、話してくれた方、
      参加してくれた方、みんなに感謝でいっぱいや。
            ありがとうございました。これからも続けていくつもり
      です。


げら子さん達に「311追悼の会」を催すきっかけを下さった東京
在住のOさん、お母さまがケアハウスで被災されました。今回の
企画には多大なご尽力いただきました。この追悼会をご報告した
その返信のメールをご紹介し、エロローグとします。

****「追悼の会」を開催していただいて、こちらこそ感謝
です。皆様にくれぐれもよろしくお伝えください。案の定、
突然、実家解体の連絡が入り2月24日(金)から29日(火)まで、
気仙沼に帰りました。足場をかけて、隣の家とそのまた隣
の家の三軒を後ろ側から重機で解体していきます。瓦礫を
分別しながらの作業なので、間が読めず、結局、実家の
庭が潰され、縁側の一部が解体された時点でこちらに戻り
ました。今はすっかり更地です。商店街のあちこちが同じ
ような状況です。先日、NHKスペシャルで気仙沼「人情商
店街」というタイトルで復興商店街をとりあげていました
が、その商店街こそ、まさに私が育った街でした。
一年が経ちました。一つの節目です。やっと、本当のやる
気が出て来たように感じています。********************

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気仙沼コンシェルジェ
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(写真提供 左高通泰さま)

★★★げら子、ごん太コンビでまたお届けしていきます。
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只今、タイ・アジアのレポート準備中です。
お付き合い頂ければうれしいです。★★★★★★★★